はじめに

この矢神 武蔵_公式ホームページを見る前に、是非YouTube「矢神 武蔵チャンネル」【所信表明演説】をご覧下さい。約15分と少し長編ですが、道路陥没事故での大山 忍_現市長の対応に対する疑問から端を発し、矢神 武蔵が自身の考えを述べた貴重な映像となります。
八潮市民は12年もの長期に渡り、大山 忍_市長に舵取りを任せてきましたが、もし4期16年目までの再選を許すと任期終了時には72歳と高齢になりますし、ただでさえ、大山 忍_市長のリーダーとしての資質が大きく疑問視される中、本当に大丈夫なのか?道路陥没事故の精算の終わる前に次の出馬宣言?と疑問に思う八潮市民も多いでしょう。

お隣の草加市や越谷市で活躍する「若き市長」達と同年代で、陥没事故でブランドイメージを最悪まで落とした八潮市の新時代のリーダーとして名乗りを上げた、ビジネスの常識や庶民の考えがわかる男、矢神 武蔵の想いや人柄が滲み出た動画です。

15分の時間を感じさせず、その引き込まれるようなプレゼン力は、まさに八潮市民必見です。これはスキップしないで、是非皆さんの15分間を矢神 武蔵に下さい。
そして次代の八潮市を誰に託すか、皆さん自身が判断して下さい。

【YouTube 矢神 武蔵チャンネル】

【矢神武蔵の日記】(毎日更新)

自らの公約を詳しく述べたブログや解説動画、通勤電車のお供・矢神 武蔵のビジネス情報、八潮市内散策記(グルメ情報中心に、各施設の矢神 武蔵流の周遊記)、ペット共生型シティという楽園郷、スーパー福祉シティ八潮構想、理想の市役所行政、教育問題、介護問題、政治の腐敗への警鐘など、矢神 武蔵が日々熱く語り尽くします。

矢神 武蔵の公約(八潮市長選へ向けて)

9/7(日)いよいよ、八潮市のニューリーダーを決める八潮市市長選挙です。たくさんの案内を手にしていると思いますが、これは新リーダーを決める市長選に関わる重要なお知らせになりますので、捨てずに最後まで読むことを強くお勧めします
道路陥没事故の対応の不手際、3期12年に渡り続く大山 忍_市長によってもたらされた「八潮市失われた 12年」の審判が今回の投票になります。
八潮市は、60歳代以上の投票割合が極端に高く、10代(高校3年生以上)・20代・30代・40代・50代の投票率が低い民意を反映できない都市になっており、前回2021 年はわずか39%台の低投票率となっています。
大山 忍_市長は、自民党の議員秘書・同じく自民党での県議会議員、そして12年の八潮市長と、40年に渡り自民党系政治家として八潮市に君臨してきましたが、この栄華は自民党を支持する高齢者や、彼の出身の農家世帯・長らく居住することによる地元住人の支持によって、もたらされてきました。

しかし、自民党や公明党が選挙で国民の信頼を勝ち取れなくなり、世の中の状況は大きく変わりました。自民党・公明党とも、県連では「市長選は自主投票」を打ち出していますが、自民党の八潮支部<責任者:宇田川ゆきお県議会議員>だけは、(宇田川ゆきお議員が地盤を引き継ぐなど恩義のある)大山 忍市長を支援すると表明しています。※八潮市の自民党員の皆さんは、公明党と同様、「自主投票」で自らの意思で投票先を選んで下さい。

また、陥没事故への補償(事業主10万円、個人最高5万円)の報道で被害住民の大ひんしゅくを買っている「埼玉県知事・大野元裕」氏は、大山 忍_市長とは、自民党時代からの盟友と言われており、前回の選挙広報では県知事が堂々と一市長候補に過ぎない大山 忍_市長へ、応援コメントを掲出するという公平性の観点では信じられないことも、公然と行われている大の仲良しで、厳しいことを意見しあえる仲ではないと推測します。道路陥没事故では、八潮市民の利益を守るために、県知事とは相反する利害関係の元に「戦う」ことが八潮市長に求められましたが、最初から出来レースのような被害者・遺族・周辺住民を無視した対応は、このような蜜月の関係からもたらされているのです。行方不明者発見の前に「第4期出馬宣言」など言語道断で、被害者や結果的に遺族となる方へのリスペクトや配慮の欠片もありません。人としてどうなの?というレベルで最悪です。

【不正ではなくても、これはダメ!】

彼の公式ホームページでは、大山 忍_市長は、本当は68歳にも関わらず、長らく56歳であると表記してきました。おそらく前回の市長選でも、77歳の対立候補に対して、20歳以上の年齢差を利して得票した疑義は拭いきれません。
(現在は削除されていて、公職選挙法には「年齢詐称は違法と記載がない」ため、草加警察も逮捕はできないと回答されています。大きな社会問題となっている「学歴詐称」も同様で逮捕不可なのです。)
矢神 武蔵は54歳ですが、自分は56歳と堂々と表記して対抗するのですから本当に悪質で、「市長として相応しくない政治家ナンバー1」だと私達の党では考えています。

■以下はホームページで読み取れます。彼の政治活動を報告するブログは、驚くことに8年6ヶ月もの間更新されていません(日本の政治家の中でも最長クラスかと存じます)。また後援する団体のニュースも選挙の時期にならないと発行されないようです。当選したらあとは知りませんよ、と有権者を舐めたこの対応こそ八潮市民は断罪し、「大山 忍_不信任案」を出す4年に1回のチャンスが今なのです。

<矢神 武蔵への市長選投票で八潮市の何が変わるか>

1.「八潮市ファースト」を標榜する矢神 武蔵は、陥没事故の八潮市民への補償が十分でないと判断すれば、真っ向から埼玉県知事に意見し、八潮市民の利益のために断固戦います。また、市の財政で補填できることは、議会と連携してすぐにでも発動します。

2.道路陥没事故の現在の全ての最新ステータスを動画解説して、市民の皆さんに市長自らの口で説明して現状の理解をして頂きます(現在、大山 忍_市長が一切責任放棄されていることに、あえて踏み込みます)。今後、八潮市が少しずつ安全となっていく様を、積極的に発信していき、特に転入希望者に訴えていきます。

3.党名に「日本一透明性のある市政運営」と入れたように、徹底的に情報開示して、納税者たる市民の参画意識を高める市政運営を目指します。結果的に選挙の投票率も上がるはずです。

4.大山市長が標榜した「すみやすさナンバー1のまち、八潮」のような、何をやるのか不明で具体性のない標語は、市のキャッチフレーズとあわせて今後一切使いません。八潮市は「住みたくない町」「車で行きたくない町」と落ちぶれた現実を見据えて、この4年間をスタートします。

5.50年前に始まった10年を単位とした総合計画は即座に計画期間を変更します。
(計画が始まった50年前ならいざ知らす、現代社会は10年先さえ見通せる時代ではありません)。新計画は市長や市議会議員の任期にあわせて4年単位に変更し、かつ1年ずつ見直していきます。「現実的に可能な」計画にすることで、確実に成果にコミットして、市役所職員と共に八潮市民の住みやすさ・暮らしやすさを追求します。

6.不正や汚職の一切ない行政と議会を構築します。(新市長誕生以降は、過去への遡りはしませんが、それ以降は市長自身も含めて、クリーンな行政を推進します)。議会・行政と一体化して「ALL 八潮で団結」しこの危機を乗り超え、そのリーダーとして全責任を負い、持って生まれた強烈なリーダーシップで困難を乗り超えます。

7.大災害時の緊急連絡を含めて、高齢者と市がLINEなどでつながることが必要です。また、LINEの機能を使えば、日々送られる市からの各種案内の一元化、住民投票やアンケート機能もありますので、「市民参画型行政」を目指せます。「高齢者は携帯を使いこなせない」の前提を排除し、「高齢者にも携帯を使いこなしてもらう方法」を考えて提案していきます。必要なら高齢者や非課税世帯に携帯の配布も検討し、インフラを整えます。

8.八潮市ホットライン(仮称)を新設します。これは、24時間いつでも道路や水道管をはじめ何らかの異変があった場合に、市民が自由に通報でき、市役所機能もすぐに対応を検討できる、「道路陥没事故を経験した八潮市だから出来る、日本の自治体で初の試みとなる安全・安心サービス」となります。これにより、人員が逼迫する警察や消防の負担を多少は緩和することができます。

9.人事系経営コンサルタントという異色の経歴を活かし、市役所職員がもっと仕事がしやすく、やる気に満ちた職場環境にします。また人事制度を見直すという民間企業では常識のアプローチで、結果的に市民サービスのレベルが上げられることを、その道を極めたプロとして、行政の場で必ず証明してみせます。

10.「親しみやすさ」において、日本ナンバー1の市長になります。公務は当然として、積極的に市内の飲食店や施設を訪れコミュニケーションを取ります。初年度の報酬500万円を「困っている人を助けるため」返上し、皆さんに役立ててもらいます。金や権力に固執しない政治家であることを、まず市民に認知してもらいます。

【その他 目指すこと】

■埼玉県で唯一となる住民税1%減税。高額所得者の転入を促進する市政を構築

大型県立病院の駅近くへの誘致(三次救急=重篤な患者の受入れ体制構築)

八潮市のブランディング向上を目指した Youtube 新番組「八潮 TV」の実験的運用

■イベント開催を更に盛り上げる新公園の稼働促進(生涯楽習館前、市役所前新公園)
(屋根付の複合スポーツパークやドッグランを併設)

観光施設の積極的提案。市外や県外から八潮市に経済効果をもたらす施策を。

経営コンサルタント・矢神 武蔵
だからできる理想の八潮市の形

  • まずは道路陥没事故からの完全復旧と、早期に新市長による安全宣言。
  • 大山 忍 現八潮市長が12年に渡り成し遂げてこられた、
    「持続可能なまちづくり、住みやすさナンバー1のまちへ」を踏襲しつつ、
    「陥没事故の悲劇を絶対に忘れない。「真の」住みやすさナンバー1のまちへ」
  • 八潮市に生まれて良かったと、老若男女みんなが思える街。
    将来、八潮市以外に住むことになっても、「ふるさと納税」は八潮にと
    思ってもらえる街。
  • 第2の駅前再開発、道の駅の観光地化、プロスポーツチームの誘致(夢)、
    市の外側からでも一気に八潮駅や道の駅にアクセスできる利便性の確保、
    観光施設の建設・誘致(ラーメン・カレー博物館、温浴施設、アニメの聖地、
    {仮称}ハッピーこまちゃんランド、シニア世代ふれあいタウン等)
  • 子育てや福祉にお金のかからない街。新市長誕生の暁には、ドンドンかつ重点的に
    予算を投入していきたいと考えています。
  • 道路・水道・公園・公共施設・学校・福祉施設・駅前開発。
    八潮市内全域で、市民が平等に公共サービスを受けられる街。
  • 老後も安心して暮らせ、最後はみんなに囲まれて、笑顔で幸せに人生の幕を降ろせる街。
  • 選挙投票率(前回 39.37%)を一気に最低 50%、目標は 80%を目指す
    日本ナンバー1 の「超民意反映型」の街。
    その解決策はインターネット投票(QRコード選挙)の導入か!?

自己紹介(矢神 武蔵ってどんな人?)

<次期市長候補がどんなキャリアを歩んできたのか、詳細にお伝えしています。かなりの長文になりますので、お時間ある時にゆっくり読んでください。>

【生まれ】
1970年10月生まれ54歳(もうすぐ55歳)。外見は40歳位と言われることが多いです。実年齢より若く見られるのが、とても嬉しい微妙なお年頃になりました。

【育ち】
生まれは東京都ですが、長らく埼玉県川口市で育ちました。30歳で結婚してから離婚する40歳位までは東京都荒川区南千住の再開発地域に住みました。都民住宅や都営住宅が高層のタワーマンションというのは他にはあまりない都市開発を目の当たりにしました。その後川口市に戻りましたが、最近川口市で問題になっている外国人の犯罪に巻き込まれ、八潮市に避難する形で2024年11月に転居し、それからしばらくして家のすぐ近くで「道路陥没事故」が発生しました。

【学校生活】
日本初の総合選択制高校(生徒が自由に授業を選べる画期的な学校)である伊奈学園総合高校(語学課英語専攻)に片道1時間30分かけて通いました。高校は3期生でまだ歴史が浅かったのですが、全てを自分達の手で作り上げる経験は、伝統校では中々経験できないと思いあえて偏差値を落としてまで入学しました。所属するハンドボール部は、新人戦で強豪ひしめく埼玉県南部地区大会(第1回)を優勝するという快挙を成し遂げ、一生の思い出になりました。

大学はこれも4年目の新設校「神田外語大学 外国語学部 英米語学科」を選択しました。将来を見据え、英語の習得のみに特化して大学に通ったのが、結果的に社会人になって役に立ちました。

【双極性障害(躁うつ病)との戦い】
隠しても仕方ないので先にカミングアウトすると、私はビジネスでのハードワークがたたり、双極性障害と診断されていて、障害者手帳の交付も受けています。躁うつ病と言っても、人間関係やコミュニケーションで悩むタイプではなく(市長選に立候補する位なので当然ですが)、人に期待されると何時間でも仕事に没頭してしまうタイプで、若い頃はよく会社で急に倒れて救急車で運ばれたり、家で夕食中に急性胃腸炎で緊急入院したこともあります。現在は、さすがに自分の負荷や限界をコントロールできるように成長したので、市長に就任しても市民の皆さんにご迷惑をおかけすることはありません。ただ、30時間一睡もしないで仕事の企画や時には妄想をしても、全く疲れない体になっているので、最近政治家を志すようになって良いのか悪いのかわからなくなっています(健康的に良い訳がないのはわかっています)。

【生みの親ではなく、里親に育てられた矢神 武蔵】
私には両親が2人ずついます。本当の生みの親と、育ててくれた里親です(養子縁組をしています)。色々な思いがありすぎる過去ですが、これは蛇足なので、ブログでこれを語る時が来たら、詳しく語りたいと思います。
児童施設などで、新しい親となってくれる人を待っている子供達、君達は1人じゃないよ。自分もそうだからこそ語れるし、通じるものがあるはず。私が市長の肩書きを頂いたら、八潮市在住の擁護施設の子供を、里親として預かり、その子供に真の幸せな人生を歩むサポートをしたいと思っています。

【ビジネス経歴】
<大躍進の予備校・東進ハイスクール時代>
新卒で東進ハイスクールに入りました、教務(講師のスケジュールやコマ単価(報酬)、生徒の進路指導)をしながら、浪人生向けに英語の講師として教壇に立たせて頂く経験ができました。今でこそ有名になった東進ハイスクールですが、当時は各有名予備校の名物講師をかき集めて、日本ではじめて(税制優遇のある学校法人ではなく)株式会社として鳴り物入りでスタートしたことも私を惹きつけました。一番良かったのは、生徒が授業を受けている時間、自分は事務室で全授業を見られる(仕事的には監視業務)立場にいたことです。有名な古文のマドンナ先生、英語の金ピカ先生、若き日の「今でしょ」で有名な林 修先生もいたと思います。ここでトップレベルを知ったことで、次は自分で教える道を選びました。

<埼玉県北部の大手学習塾で英語指導を極めた時代>
サイエイスクールという埼玉北部の大手塾の専任講師になりました。学習塾は通常、教室長以外は大学生のアルバイト講師で構成されることが多いのですが、ここは全員正社員というのが大きな売りになっていました。
通常の学習塾機能と同時に、英検・数検・漢検の取得に日本で最も力を入れている塾でした。小学生は生徒の数が少なく、場合によってはマンツーマンになるのですが、小5で英検3級(中3受検レベル)や小3で英検4級(中2レベル)まで到達した子がおり、かつ定期的に併設する英会話スクールの外国人講師が巡回指導に来るので、子供達が外国人と英語で話すことを全く恐れない素晴らしい英語教育環境でした。この経験があるので、余計に現在の日本の英語教育に疑問を持っているだと思います。日本人の公立学校の先生方、あなた達、外国人相手に英語で浅草をガイドして日本の教育問題を英語で議論できますか?英検1級(大学卒業程度)に合格する英語力はお持ちですよね?(検索すると日本人英語教師の英検1級取得率はわずか10%だそうです)。

<人事への転身、お持ち帰り弁当№1企業の採用担当時代>
大学生時代の講師アルバイトから、東進でトップレベルを学び、サイエイで外国人とのペアティーチングの実践を踏まえて、最終的には夏期講習で全校舎から選抜されたエリートクラスの授業を担当させて頂けるまでに成長できました。その後に役に立つ「人にわかりやすく、物事を伝えたり教えたりするスキル」はここで培われました。

しかし、私は27歳にして「人事」への転身を図りました。理由は色々あるのですが、英語講師という仕事はある程度の年齢になると生徒と年の差が親子程になり、教授スキルも頭打ちになると思ったこと、本当に年齢を重ねた40歳・50歳の時に稼げなくなる可能性のある職業にいることに不安を感じたこと、東進ハイスクールの衛星予備校のシステムがいつか一般家庭で自由に視聴できるようになった瞬間に、トップ以外の英語講師は淘汰されていくと予見したこと(この流れは予想通り)などがあります。

そこで企業経営の三大要素である(ヒト・モノ・カネ)のうち何か出来ないかと考えた結果、人事(ヒト)しかないという結論になりました。社会保険料の料率も労働基準法に定める割増賃金率も知らない状態で面接に挑みましたが、現在「ほっともっと」のブランドで有名な「ほっかほっか亭」の人事採用担当として新たなキャリアをスタートしました。当時はマクドナルドに続く日本外食産業№2の企業で、グループ全体で全国に3,000店以上あるビッグチェーンでしたが、外食と同時にフランチャイズビジネスでもあり、多くの社員が本体である大手ダイエーからの出向者という、色々なことを吸収したい私には好都合な環境でした。

当時のほっかほっか亭は、業界トップレベルの急成長企業で、毎年100人近い人材を私が採用できないと出店に追いつかないという環境でした。全国の支店を週末毎に出張で飛び回った経験は後に生きていますし、現在までトータル3,000人以上という、中々普通の人事キャリアでは経験できない数の採用面接をしたことも私の礎となっています。就職情報紙
(当時のBingやdoda)の巻頭カラーに何度も掲出させて頂いたので、他社の人事の方に勉強会で会う毎に「あれ?どこかで見たことある」と言われていた記憶があります。

<キャリアデザインセンター「type」へ。事業部責任者の重圧。>
ほっかほっか亭が他社に買収されたタイミングで転職をしました。ちょうど30歳で結婚を控えていたので、心機一転という気持ちもあったかと思います。現在でもオードリー春日さん出演の黄色い吊り革広告を電車で見たことがあるかと思います。私は、当時はじめて「採用アウトソーシング事業部」を立ち上げるということで、№2のポジションで入社したものの、責任者の方がすぐに退職してしまい、いきなりP/L責任を持つ事業部責任となりました。現在でこそRPO(Recruitment Process Outsourcing)として採用業務代行が認知されていますが、当時の日本企業には全く浸透しておらず、逆に外資系企業には広く認知されていました。私がラッキーだったのは、typeはコンサルティングファームの大口顧客を中心に外資系企業に広く営業網があったので、すぐに仕事も決まり、お客様は順番待ちをして頂く位の引き合いもあったと記憶しています。私はBig5と呼ばれる超大手コンサルティングファームに常駐しながら、同じく各社に常駐する配下のメンバーのマネジメントをしていました。外食の採用しか知らない人事が、コンサルの採用なんて出来るのか?という声も聞こえてきそうですが、そこは問題なくこなせました。

<事業から撤退し他部門へ異動と言われた時の虚無感>
Big5のコンサルティングファームという恵まれた環境にいた私ですが、不幸なことにアメリカの「金融危機」で外資系企業が全て採用をフリーズ(=専門用語、採用をストップすること)するという事態に直面しました。当然、type本体も広告が受注できなくなり、今でこそ東証プライムに上場していますが、会社は大きな岐路に立たされました。私の事業部も瞬間的に全員が仕事がない状態になり、社長の判断で事業部を廃止するという会社の判断となりました。営業の皆さんは、私達のグループが採用業務を受注して常駐することで、広告が取れやすくなるとのことで、一部の人がもう少し我慢しても良いのではと言ってくれたのは嬉しかったです。人材紹介部門のキャリアカウンセラーへの異動を命じられましたが、私のこの仕事にかける想いや私の人柄やリーダーシップに賭けて転職してきてくれた部下に申し訳なく、自ら事業部廃止の責任を取る形で、会社を退職する決断を下しました。

<サラリーマン時代のクライマックス・スカイライトコンサルティングでの奮闘>
そこで選んだのが、旧アクセンチュアの腕利きのメンバー20人(うち取締役6人)が結集して新たに国産コンサルティングファームとして立ち上がったスカイライトコンサルティングでした。採用しかできない私でしたが、まずは採用をやってくれる人が欲しいという企業のニーズにもあったのだと思います。

ここでは本当に忙しく、いわゆるまだ採用の仕組みも教育・評価もこれから作り上げていくというフェーズでした。もちろん、それを望んで飛び込んだものの、その難易度は私の知識や経験の「更に3倍、考え方によっては5倍以上」を発揮して、やっとできるという程の内容だったと思います。幸い、コンサルティングファームには、バックオフィス業務も積極的に手伝ってくれるような方が多く、またこういうベンチャーに大手から色々なものを捨てて来るような方は、どんなに仕事が忙しくても、仕事終わりに駆けつけてくれて面接官として手伝ってくれたりしてくれました。当時はN村さんというコンサルタントのマネジャーが社内で作業をしていることが多く、私を手伝ったり、励ましてくれたり、時にはダメ出ししてくれたり、と色々と関与してくれたのは本当にありがたかったです。また、社長のH物さんをはじめ、会社の設立理念に賛同して参画した5人の取締役の皆さんも、全く個性や性格は違う方々でしたが、たった1人でコンサルティング会社の経営の根幹(採用・教育・配置・評価のサイクル構築)の整備に孤軍奮闘する私を、皆さん本当にバックアップしてくれました。この会社に入って良かったと思ったのは、最初の6ヶ月で一定の評価をして頂き、年収が一気に何百万円も上がったことではなく、本当に信頼のできる仲間・経営者に出会えたことに尽きます。この出会いがなかったら、ビジネスで自分が「プロ」であるという認識は強く持てなかったかもしれません。
こんなエピソードも印象に残っています。私が評価制度の第1案の素案を持っていって経営会議で玉砕して完全にダメ出しされた時、この経営課題そのものを人事の私1人だけに背負わせるのはおかしいと、評価制度構築プロジェクトの主担当的役割を自ら買って出て頂いたN澤さん・Y野さん(評価の構築作業は、いつも自分の本来の仕事を終えて、他の人が帰った後の遅い時間にやられていました。)という方がいました。
普通、経営者はこういうことまで手や口を出さないのが常識と思っていた私は、少しビックリしました。それも「全部我々で巻き取ります。あなたは人事の責任者として他の領域に注力していいですよ」、みたいな感じで当然のごとく進める。これがプロのビジネスパーソン(彼らは経営者と同時に、お客様の仕事もするコンサルタントでした)
なんだなと強く印象に残っています。

自らは人事の経験や知識がないながらも、必死になって私をサポートしてくれた人事担当役員のS本さん、精神疾患で長期休暇している社員の面談やフォローは当然私の仕事でしたが、一緒に遠いところまでその社員の面談に同行してくれたU田さん、役員の中で1人、コンサルタントとは異質の営業系キャリアを歩まれてきたH原さん(実はこのH原さんが1番私の悩み事の相談に親身に乗ってくれました)、みんながみんな、自分の出来ることで会社に貢献したり、仲間を助けていく。
「ベンチャースピリット」という言葉がありますが、まさにそれを地でいくような環境で、私も大きく成長することができたと思っています。

会社の最後の方は、人の数も組織もしっかりして、私も配下のメンバーの採用を許されました。自分が出来ることや教えられることを伝え、いつしか「人事ディレクター(一般企業でいうところの部長~役員相当)」という肩書きを頂き、報酬もおそらく日本企業の人事担当の中ではトップクラスを頂けるようになっていきました。が、私の体やメンタルは、既に10年間の身体的・精神的ストレスの蓄積で完全に限界を超えており、退職直前期には完全に精神的に崩壊してしまい、会社にも妻にも親族にも多大なるご迷惑をおかけしました。

<長期休養の後、個人事業主のコンサルタントとして独立>
しばらく長期でお休みをしました。奥さんにも迷惑をかけたので、2人でゆっくり過ごす時間も欲しかった。完全にうつ病になっていたので医者にも定期通院をしました。次の仕事は、なんといきなり関西(大阪)で見つかりました。奥さんは東京で仕事があったので、当然自分一人で大阪に転居し、週末に東京に帰る二重生活で乗り切ろうとしました。しかし、ここで夫婦間にも、色々と考え方や生き方の溝が生まれていました。私のようにこれと決めたら全力で走るのを止めない人間もいれば、のんびりとマイペースで、自分の趣味などに時間を使いながら平和な暮らしを送りたいという人もいます。精神的にゆとりがなかった私は、奥さんに自分の生き方や価値観を知らぬ間に強制していたのかもしれません。そこで溝が生まれた私達夫婦は、その溝を修復することはできませんでした。10年間も一緒に暮らしていたのに、なぜこんなことを理解できていなかったのだろうということも多々ありました。もしかしたら、奥さんの方も同じことを感じていたかもしれません。
これを機に40歳の時に離婚し、そこからは一切結婚もせず現在に至ります。子供は作らないと決めて結婚していたので、子供につらい思いをさせることなく離婚できたのは良かったと思います。

<人事のプロとして、屋号「HR Professional」にかけた想い>
独り身になり、新たに個人事業主としての生活がスタートしました。私が狙ったポジションは「CHOエージェント」。これはコンサルタントとは違い、人事の責任者のポジションを担うという、あるようでなかったサービスでした。特に人事の領域は、企業経営の根幹に関わることが多いにも関わらず、中々期待するレベルの管理職クラスの採用が出来なくて困っている企業があります。それを一時的に管理職業務を請け負うことで、サポートできないかと考えたのです。

このように、個人事業主になって色々なことを経験しました。家に一定の生活費を入れなくて良い環境になり、必ずしもお金を稼がなくてもよくなりました。私はこの環境を逆手に取り、将来自分が起業したり、今回のように政治家を目指すのに必要な情報を取りに行くような活動をしました。
覚えているだけでも、

  • タレント(全く売れませんでした笑)
  • 人事担当者に特化したビジネスコーチングサービス
  • 模擬面接サイト運営(新卒、公務員受検者、中途採用者、シニア転職 等)
  • 埼玉県庁の職員(教職員課給与担当)
  • 外国人観光客向け観光ガイド(英語で浅草や新宿を案内)=ほぼボランティア
  • 1時間1,000円で、おじさんを自由にレンタルしたり相談できるサービスサイト加入
  • コンビニ店員・責任者(FC研究を兼ねて大手3社経験)
  • リラグゼーションサロンのセラピスト(全身マッサージ、足裏マッサージ)
  • ナイトレジャー関連(性風俗ではないです)
  • チョコレート工場の品質関連業務
  • 冷凍食肉トラックのお得意様ルート配達

などをやりました。

完全に世の中のビジネスの仕組みを勉強していた期間ですが、結果としてこの期間が矢神 武蔵が世の中のビジネスの仕組みに詳しい礎になっています。
色々な業務を見ることで視野が広がるのは間違いないので、特に今回政治家を志すにあたっては、世の中の色々なことを知っている自分の特性を活かしたいと思います。

駅前・市内スーパー等での支援スタッフ募集!

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

献金(100円でもOK、クレジットカード可)や、
矢神 武蔵へのサブスク型 継続支援のご案内

献金(100円でもOK、クレジットカード可)や、
矢神 武蔵へのサブスク型 継続支援のご案内

道路陥没事故からの八潮市の復活を公約に掲げる矢神 武蔵は八潮在住の一般人に過ぎず、大きな政党や企業からの献金は一切ありません(八潮市内(もしくは5市1町連携をしている草加市・越谷市・三郷市・吉川市・松伏町)の企業以外から申し出があっても一切頂きませんし、市内企業であっても社名と金額を公表可能な社のみにする方針です)。皆様が100円支援して頂ければ10万人なら1,000万円、1,000円を支援して頂けるなら1億円の選挙資金が出来ます。選挙でお金が余れば、陥没事故の今も悪臭に悩む方々への支援にも回せますし、少なくても私の財布に入るようなことは絶対にしません。

選挙ドットコムのリンクから1,000円以上であればクレジットカード払い可、それ以下であれば、振込手数料はかかりますが、10円単位でもいいです。また駅には献金箱を用意していますので、少しでもご支援をお願いします。

<Aパターン(お勧め)>
【1,000円以上の献金を頂ける方で、クレジットカードで即時決済をご希望の方】
(カード会社の手数料は、矢神 武蔵の受取額から引かれるので皆さんの負担はありません。)

日本で唯一無二のネット選挙を仕掛ける矢神 武蔵には圧倒的に資金が足りません。皆さんの少しの支援が、名刺
を配ってくれるスタッフの給与として使われたり、矢神 武蔵が購入しなければならない様々な備品購入の原資となります。

献金は以下のリンクから受け付けています。
選挙ドットコム

  • はじめての方は、①選挙ドットコムへの仮登録 ②本登録 をして下さい。
  • 2回目以降の方は、ログインするだけでいつでも献金可能です。
  • サブスク型で毎月一定金額を献金することもできます。
  • 1口1,000円~年間上限150万円まで献金可能です。
  • 年間5万円を超える献金(5万1円以上)については、
    収支報告書で「金額、氏名、住所、職業」が開示されます。

<Bパターン>
【献金額が1,000円未満、もしくは1,000円以上でも銀行振込を希望される方】

■埼玉りそな銀行(銀行番号 0017)
■八潮支店(店番 590)
■普通口座
■4384533
■矢神武蔵 後援会
(ヤガミ ムサシ コウエンカイ)

<Cパターン>
【街頭献金】

手軽にできる募金箱タイプ。駅前で献金箱をご用意していますので、
財布の小銭を入れるだけでもいいので、ご協力お願いします!

矢神 武蔵 選挙事務所へのアクセス
矢神 武蔵 直通ダイヤルのご案内

【何でも質問/相談 フリーダイヤル】

通話料無料: 0120-800-634(語呂:や{がみ}むさし)

携帯電話の方へ:

下の赤いボタンを押すと、そのまま携帯電話に番号が転送されて
フリーダイヤル番号が表示されます。是非ご利用下さい。

日本の政治家はほとんどやっていない、皆さんからの電話を矢神 武蔵が通話料負担で、何でも質問や相談をできる仕組みを作りました。この電話にかけると、矢神 武蔵の携帯電話及びスタッフの携帯電話が鳴るようになっています。とにかく、一言物申したいという方、他の候補者の支援者の方(アンチ歓迎)、純粋に質問や相談のある方、何でもいいので電話して下さい!皆さんの声を新たな市政に反映することをお約束します。

【選挙事務所】
〒340-0808 埼玉県八潮市緑町 1-24-1-201
6 席用意がありますので、矢神 武蔵に会いたい方は是非事務所へも遊びに来て下さい。 街頭演説・挨拶以外は、事務所で他の事務作業をしていることが多いです。

【営業時間】
午前7時~午後11時
※ただし、市内での街頭演説で7時~9時、11時~13時、18時~21時は矢神 武蔵は離席していることが多いです。電話は事務所スタッフが丁寧に応対させて頂きます。

【矢神 武蔵_連絡先】
メール:yagami.musashi@yashio.red

携帯電話:090-1517-8634(行こう!いいな!矢神 武蔵)※語呂合わせで覚えられます。____________________________________________________________________
<日本一透明性のある市政運営を目指す、
矢神 武蔵の党 ~赤い情熱~>

■公式サイト:https://yashio.red/

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