【矢神武蔵の日記】(毎日更新)

自らの公約を詳しく述べたブログや解説動画、通勤電車のお供・矢神 武蔵のビジネス情報、八潮市内散策記(グルメ情報中心に、各施設の矢神 武蔵流の周遊記)、ペット共生型シティという楽園郷、スーパー福祉シティ八潮構想、理想の市役所行政、教育問題、介護問題、政治の腐敗への警鐘など、矢神 武蔵が日々熱く語り尽くします。

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■ 矢神 武蔵の八潮市復興計画(陥没事故の悲劇からの再生)

スーパー福祉シティ・八潮、子育ての日本一の町・八潮、埼玉県で最も教員のレベルが高い町・八潮、埼玉県最高の行政サービスの町・八潮など矢神 武蔵が市長になった場合の公約を毎日綴っていきます。

■ <選挙の裏側>選挙ってどうなっている? 一体いくらかかるの?

八潮市長選挙に挑戦する上での全支出を1円単位で完全公開中!

■ 元経営コンサルタントならではのビジネス情報マガジン

※通勤・通学のお供に。
 携帯いじっているだけで時間を浪費している貴方にお勧め。
※主要新聞おまとめ、ビジネス書レビュー、昨日のビジネス経済番組の簡単まとめ。

■ 矢神 武蔵、八潮市を歩く

八潮市内の飲食店や個人経営のお店、観光スポットを矢神 武蔵が突撃取材!
(動画でグルメレポートもしています!)

■ ペット共生型シティの実現に向けて

矢神 武蔵 自らペットを飼ってみた。
(フェレット・フクロモモンガ、犬?猫?)

そして、少子高齢化社会の行き着く先?
矢神 武蔵のペット共生型シティ構想とは?

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矢神 武蔵の公約(八潮市長選へ向けて)

■私の公約は、一行では語り尽くせません。

これから毎日のように、ブログやフェイスブックで公約を背景や思いまで含めて細かく解説していきます。このブログには、全て「動画版」も添付されていますので、是非皆さんの目で、新八潮市長候補の想いや考えを確かめ、新しい八潮市のリーダーに誰が適任かを判断頂ければと思います。

一通りブログや動画での公開が終わったところで、選挙期間(9/1~9/6)に入りますので、その時にはここでもしっかり公約を記載していきます。

■決定している公約

(1)初年度の市長報酬の約半額(約500万円)を、八潮市でお困りの方を中心に寄付。
※市長になると、それが有権者への利益供与(票を金で買う行為の一部)と見なされ、うまくいかない可能性も出てきますが、法令違反部分との調整をつけながら、自分の信念を貫き「困っている人を助ける」を自らの報酬を原資に実践します。
(陥没事故の補償対象外住宅にお住まいの方へ空気洗浄機の購入支援、低所得者層への経済的支援、こども食堂への義援金、動物愛護団体(殺処分を防ぐため身銭を切っている方など)、猛暑の中、農作業を頑張る農家の皆さんに作業や身体が楽になるグッズを配布。等)

(2)汚職と癒着がゼロの街・八潮

市長・副市長はもちろん、市議会議員・市の行政職員などが、特定業者との癒着や不正を行いそれが発覚した場合は厳罰に処し、市長として本人に辞職を促す位のことはしたいと考えています。
当然、市長は自ら率先垂範します。知識のなさや無知により発生した間違えはすぐに謝罪しますし、「もし私が意図的に自らの利益のために1円でも不正をした場合」、即刻辞職する覚悟があります。しっかりとトップが襟を正し、かつ厳罰が待っていると知っている担当者は、汚い金のお誘いがあってもきっぱりと断ることができるはずです。自民党議員による裏金問題で、国民の政治家への不信感は最高潮です。まずは八潮が見本となっていきます。

(3)最高の行政サービスの街・八潮

八潮市とさいたま市や川口市のようなビックシティとの行政サービスを徹底的に比較検討した矢神 武蔵が理想型を語ります。これはブログと動画で語りますので、そちらを是非ご覧下さい。更新情報がわかる「矢神 武蔵_公式LINE登録」がお勧めです。

(4)行政職員も働きやすい街・八潮

年功序列や3年毎の定期人事異動が当たり前と思っている市の職員の皆さん。ちょっと待った!私が経験した民間の人事制度や組織設計の仕組みや今回考えた市役所改革案を一部取り入れれば、まだまだ優秀な職員の皆さんが、もっとやりがいのある仕事ができるはずです。ブログと動画で熱く語りますので、市の職員の皆さんは是非、「矢神 武蔵_公式LINE」でブログの更新情報をチェック下さい!

(5)商工会(青年部)こそ、八潮市最強の頼れる集団!

先日、矢神 武蔵は駅前の枝豆祭りを視察に行きました。最も印象に残ったのは、商工会・青年部の皆さんの大活躍でした。40歳以下の起業家の皆さんが、八潮市発展のために心血を注いでいます。私が話した「自称・声出し担当(笑)」の方は、水分補給もすることなく、ずっと来場者に声をかけ続けていて(私が話しかけてかなり業務の邪魔してしまいましたが)、焼きそばを一心不乱に焼き続ける方(猛烈な鉄板の熱さとの戦い)、かき氷担当の方は、焼きそばの方よりは涼しそうでしたが、それでも最後の最後まで声を出し続けていました。

私は思いました。大山 忍現八潮市長は、次の第4期の任期を終える時には72歳、私は年齢よりは外見は若く見られるのは事実ですが、実年齢は54歳(とは言っても全く衰えてないし、今が人生の最高潮ですが)、将来の八潮市を担うのは、この商工会の皆さんのような地元の方々なのではないかと。
可能かどうかわからないですが、八潮市役所は商工会議所の目の前です。もし許されるなら、彼らの定例MTGに同席させて頂き、八潮市のビジネスを一緒に考えていけないかと考えています。少なくても、経営コンサルタントとして、中小企業経営者の支援をしてきた私も少しは貢献できるのではないかと。

この動きは、例えば土建組合の皆さん、教会やモスクの運営・布教活動をしている宗教関係者の皆さん、自治会などの皆さんも同様と考えています。大山 忍現市長は、元々八潮市の土着の方ですし、色々な団体の皆さんと「良い関係を構築されてきた」と推測します。私も一刻も早く皆さんの信頼を得られるように、自らの足で、皆さんのもとに自分から踏み込んでいきます(迷惑でなければ)。

(6)外国人だって住みやすい街にしたい(けど)

外国人による犯罪が問題となる昨今、ここは政治家にとって非常にデリケートでタブーとも言われる領域です。でも、それだからこそ、あえて矢神 武蔵は踏み込みたい部分でもあります。私は川口市でかなり凶悪な外国人による強盗事件に遭遇し、逃げるように八潮市にやってきました。
でも、「外国人は犯罪者(が多い)」なんて方程式は成り立たないと思うのです。日本人だって、犯罪者はいます。外国人の中に一定の犯罪者がいるのは事実ですが、全員がそうではないのです。言葉も文化もわからない異国に来て、しっかり勉強して、働いて、納税して、家族を養っている人も大勢います。

八潮市には全国的にも有名な優良外国人エリア「八潮スタン(八潮+パキスタン)」があります。彼らは自国へ日本中古自動車を輸出するビジネスで成功を収めています。もしかしたら、日本人の平均より高い納税額を納めている可能性もあります。私が言いたいのは、○○人、肌の色、髪の毛や目の色、言葉の違い、文化の違い、これからの時代は、色んな価値観や違いを共有していくことが必要なのではないかということ。LGBT(同性愛者など)、宗教の違い。
世界的にも珍しい「島国」にして、基本的に「単一民族」の日本が、アメリカのような他民族・移民国家になる必要はありませんが、より多様性を受け入れられる街・八潮になるといいなと思っています。
矢神 武蔵のような人間が集まれば、小学校に外国人の子が転校してきても、言葉なんかわからなくても話しかけてすぐ友達になるなんて、難しくないのです。

【蛇足】
<矢神 武蔵の最終目標>
「あ、武蔵さんだ~!」と幼児が市長の権威なんぞ関係なく私に駆け寄ってくる光景。
「あれ、また武蔵さんがラーメン食べてるぞ!」と市民に後ろ指を指されている光景。
「フレスポ八潮、毎週歩いてない?武蔵さん」と私に聞こえるように後ろから囁く主婦。
「なんで、少年団の野球チームを市長がプレイベートで見てるんだ?」と驚く関係者。
「介護や福祉施設を、公務ではなく普通に訪れ、入居者と談笑する姿」を見守る介護職員。
「自称50歳以上ナンバー1フットサルキーパーの肩書きで、市内のフットサル施設で市民と真剣勝負したり、子供にPK対決を挑む武蔵さん」

私が当選しても「矢神市長!」とは呼ばないで欲しい。もちろん一定の役職者に敬称をつけることは日本語の基本です。でもあえて、「武蔵さん」と呼ばれ続ける市長でありたい。3歳の子供が成人になっても、武蔵さんは武蔵さんのままでいいんです。

私が目指す「「真の」住みやすさナンバーワンのまち」は市長がいつでも見えるところにいて、いつでも市民の声に耳を傾けてくれる、公務の時だけ形式的な挨拶をしてさっさと帰るのではなく、準備段階から最後の片付けが終わるまでそのイベントにいて市民の皆さんと触れ合い、一緒に自腹で買ったかき氷を食べて談笑している姿。その会話の中にこそ、市民の真の声があり、それを市政に活かすのが市長の仕事だと確信しています。

「矢神 武蔵なら出来ます」、というよりは「矢神 武蔵は絶対にやり抜きます」。

日本政治史上、こんな市長は他にいなかったよねと後生に語り継がれるような存在になりたい。自分が立候補していないのに、市長選挙の投票用紙に「矢神 武蔵」と有権者が思わず書いてしまうような元市長になりたい。
矢神 武蔵みたいな人間が八潮市長になったら面白いなと思う方、是非私の政治活動を手伝って下さい。矢神 武蔵はボランティアではなく報酬を払うようにしていますが、ボランティアでも手伝いたいという方は何十人いても大丈夫です。駅で1時間でもいいからチラシ(矢神 武蔵は選挙チラシは税金の無駄なので名刺)を配ってくれる人はウエルカム、土日の休みの数時間でも近くのスーパーの前で配ってくれる人ウエルカム、仕事で忙しいけどたまには市のボランティア的に地域貢献したいビジネスパーソンもウエルカム、学生さん(18歳以上)だって、いくらでもやれることがあります。
選挙期間(1週間前)に入った時、駅前に50人、「チーム矢神 武蔵」が駅に集結して全員で一斉に声を張り上げたら・・・。たぶん私は感動して号泣すると思います。

みんなで一丸になって八潮市を変える時。陥没事故の汚名だって絶対晴らせる。
新しい時代へ!9月の選挙を機に、今、立ち上がろう、八潮市民!

矢神 武蔵より

経営コンサルタント・矢神 武蔵
だからできる理想の八潮市の形

  • まずは道路陥没事故からの完全復旧と、早期に新市長による安全宣言。
  • 大山 忍 現八潮市長が12年に渡り成し遂げてこられた、
    「持続可能なまちづくり、住みやすさナンバー1のまちへ」を踏襲しつつ、
    「陥没事故の悲劇を絶対に忘れない。「真の」住みやすさナンバー1のまちへ」
  • 八潮市に生まれて良かったと、老若男女みんなが思える街。
    将来、八潮市以外に住むことになっても、「ふるさと納税」は八潮にと
    思ってもらえる街。
  • 第2の駅前再開発、道の駅の観光地化、プロスポーツチームの誘致(夢)、
    市の外側からでも一気に八潮駅や道の駅にアクセスできる利便性の確保、
    観光施設の建設・誘致(ラーメン・カレー博物館、温浴施設、アニメの聖地、
    {仮称}ハッピーこまちゃんランド、シニア世代ふれあいタウン等)
  • 子育てや福祉にお金のかからない街。新市長誕生の暁には、ドンドンかつ重点的に
    予算を投入していきたいと考えています。
  • 道路・水道・公園・公共施設・学校・福祉施設・駅前開発。
    八潮市内全域で、市民が平等に公共サービスを受けられる街。
  • 老後も安心して暮らせ、最後はみんなに囲まれて、笑顔で幸せに人生の幕を降ろせる街。
  • 選挙投票率(前回 39.37%)を一気に最低 50%、目標は 80%を目指す
    日本ナンバー1 の「超民意反映型」の街。
    その解決策はインターネット投票(QRコード選挙)の導入か!?

自己紹介(矢神 武蔵ってどんな人?)

<次期市長候補がどんなキャリアを歩んできたのか、詳細にお伝えしています。かなりの長文になりますので、お時間ある時にゆっくり読んでください。>

【生まれ】
1970年10月生まれ54歳(もうすぐ55歳)。外見は40歳位と言われることが多いです。実年齢より若く見られるのが、とても嬉しい微妙なお年頃になりました。

【育ち】
生まれは東京都ですが、長らく埼玉県川口市で育ちました。30歳で結婚してから離婚する40歳位までは東京都荒川区南千住の再開発地域に住みました。都民住宅や都営住宅が高層のタワーマンションというのは他にはあまりない都市開発を目の当たりにしました。その後川口市に戻りましたが、最近川口市で問題になっている外国人の犯罪に巻き込まれ、八潮市に避難する形で2024年11月に転居し、それからしばらくして家のすぐ近くで「道路陥没事故」が発生しました。

【学校生活】
日本初の総合選択制高校(生徒が自由に授業を選べる画期的な学校)である伊奈学園総合高校(語学課英語専攻)に片道1時間30分かけて通いました。高校は3期生でまだ歴史が浅かったのですが、全てを自分達の手で作り上げる経験は、伝統校では中々経験できないと思いあえて偏差値を落としてまで入学しました。所属するハンドボール部は、新人戦で強豪ひしめく埼玉県南部地区大会(第1回)を優勝するという快挙を成し遂げ、一生の思い出になりました。

大学はこれも4年目の新設校「神田外語大学 外国語学部 英米語学科」を選択しました。将来を見据え、英語の習得のみに特化して大学に通ったのが、結果的に社会人になって役に立ちました。

【双極性障害(躁うつ病)との戦い】
隠しても仕方ないので先にカミングアウトすると、私はビジネスでのハードワークがたたり、双極性障害と診断されていて、障害者手帳の交付も受けています。躁うつ病と言っても、人間関係やコミュニケーションで悩むタイプではなく(市長選に立候補する位なので当然ですが)、人に期待されると何時間でも仕事に没頭してしまうタイプで、若い頃はよく会社で急に倒れて救急車で運ばれたり、家で夕食中に急性胃腸炎で緊急入院したこともあります。現在は、さすがに自分の負荷や限界をコントロールできるように成長したので、市長に就任しても市民の皆さんにご迷惑をおかけすることはありません。ただ、30時間一睡もしないで仕事の企画や時には妄想をしても、全く疲れない体になっているので、最近政治家を志すようになって良いのか悪いのかわからなくなっています(健康的に良い訳がないのはわかっています)。

【生みの親ではなく、里親に育てられた矢神 武蔵】
私には両親が2人ずついます。本当の生みの親と、育ててくれた里親です(養子縁組をしています)。色々な思いがありすぎる過去ですが、これは蛇足なので、ブログでこれを語る時が来たら、詳しく語りたいと思います。
児童施設などで、新しい親となってくれる人を待っている子供達、君達は1人じゃないよ。自分もそうだからこそ語れるし、通じるものがあるはず。私が市長の肩書きを頂いたら、八潮市在住の擁護施設の子供を、里親として預かり、その子供に真の幸せな人生を歩むサポートをしたいと思っています。

【ビジネス経歴】
<大躍進の予備校・東進ハイスクール時代>
新卒で東進ハイスクールに入りました、教務(講師のスケジュールやコマ単価(報酬)、生徒の進路指導)をしながら、浪人生向けに英語の講師として教壇に立たせて頂く経験ができました。今でこそ有名になった東進ハイスクールですが、当時は各有名予備校の名物講師をかき集めて、日本ではじめて(税制優遇のある学校法人ではなく)株式会社として鳴り物入りでスタートしたことも私を惹きつけました。一番良かったのは、生徒が授業を受けている時間、自分は事務室で全授業を見られる(仕事的には監視業務)立場にいたことです。有名な古文のマドンナ先生、英語の金ピカ先生、若き日の「今でしょ」で有名な林 修先生もいたと思います。ここでトップレベルを知ったことで、次は自分で教える道を選びました。

<埼玉県北部の大手学習塾で英語指導を極めた時代>
サイエイスクールという埼玉北部の大手塾の専任講師になりました。学習塾は通常、教室長以外は大学生のアルバイト講師で構成されることが多いのですが、ここは全員正社員というのが大きな売りになっていました。
通常の学習塾機能と同時に、英検・数検・漢検の取得に日本で最も力を入れている塾でした。小学生は生徒の数が少なく、場合によってはマンツーマンになるのですが、小5で英検3級(中3受検レベル)や小3で英検4級(中2レベル)まで到達した子がおり、かつ定期的に併設する英会話スクールの外国人講師が巡回指導に来るので、子供達が外国人と英語で話すことを全く恐れない素晴らしい英語教育環境でした。この経験があるので、余計に現在の日本の英語教育に疑問を持っているだと思います。日本人の公立学校の先生方、あなた達、外国人相手に英語で浅草をガイドして日本の教育問題を英語で議論できますか?英検1級(大学卒業程度)に合格する英語力はお持ちですよね?(検索すると日本人英語教師の英検1級取得率はわずか10%だそうです)。

<人事への転身、お持ち帰り弁当№1企業の採用担当時代>
大学生時代の講師アルバイトから、東進でトップレベルを学び、サイエイで外国人とのペアティーチングの実践を踏まえて、最終的には夏期講習で全校舎から選抜されたエリートクラスの授業を担当させて頂けるまでに成長できました。その後に役に立つ「人にわかりやすく、物事を伝えたり教えたりするスキル」はここで培われました。

しかし、私は27歳にして「人事」への転身を図りました。理由は色々あるのですが、英語講師という仕事はある程度の年齢になると生徒と年の差が親子程になり、教授スキルも頭打ちになると思ったこと、本当に年齢を重ねた40歳・50歳の時に稼げなくなる可能性のある職業にいることに不安を感じたこと、東進ハイスクールの衛星予備校のシステムがいつか一般家庭で自由に視聴できるようになった瞬間に、トップ以外の英語講師は淘汰されていくと予見したこと(この流れは予想通り)などがあります。

そこで企業経営の三大要素である(ヒト・モノ・カネ)のうち何か出来ないかと考えた結果、人事(ヒト)しかないという結論になりました。社会保険料の料率も労働基準法に定める割増賃金率も知らない状態で面接に挑みましたが、現在「ほっともっと」のブランドで有名な「ほっかほっか亭」の人事採用担当として新たなキャリアをスタートしました。当時はマクドナルドに続く日本外食産業№2の企業で、グループ全体で全国に3,000店以上あるビッグチェーンでしたが、外食と同時にフランチャイズビジネスでもあり、多くの社員が本体である大手ダイエーからの出向者という、色々なことを吸収したい私には好都合な環境でした。

当時のほっかほっか亭は、業界トップレベルの急成長企業で、毎年100人近い人材を私が採用できないと出店に追いつかないという環境でした。全国の支店を週末毎に出張で飛び回った経験は後に生きていますし、現在までトータル3,000人以上という、中々普通の人事キャリアでは経験できない数の採用面接をしたことも私の礎となっています。就職情報紙
(当時のBingやdoda)の巻頭カラーに何度も掲出させて頂いたので、他社の人事の方に勉強会で会う毎に「あれ?どこかで見たことある」と言われていた記憶があります。

<キャリアデザインセンター「type」へ。事業部責任者の重圧。>
ほっかほっか亭が他社に買収されたタイミングで転職をしました。ちょうど30歳で結婚を控えていたので、心機一転という気持ちもあったかと思います。現在でもオードリー春日さん出演の黄色い吊り革広告を電車で見たことがあるかと思います。私は、当時はじめて「採用アウトソーシング事業部」を立ち上げるということで、№2のポジションで入社したものの、責任者の方がすぐに退職してしまい、いきなりP/L責任を持つ事業部責任となりました。現在でこそRPO(Recruitment Process Outsourcing)として採用業務代行が認知されていますが、当時の日本企業には全く浸透しておらず、逆に外資系企業には広く認知されていました。私がラッキーだったのは、typeはコンサルティングファームの大口顧客を中心に外資系企業に広く営業網があったので、すぐに仕事も決まり、お客様は順番待ちをして頂く位の引き合いもあったと記憶しています。私はBig5と呼ばれる超大手コンサルティングファームに常駐しながら、同じく各社に常駐する配下のメンバーのマネジメントをしていました。外食の採用しか知らない人事が、コンサルの採用なんて出来るのか?という声も聞こえてきそうですが、そこは問題なくこなせました。

<事業から撤退し他部門へ異動と言われた時の虚無感>
Big5のコンサルティングファームという恵まれた環境にいた私ですが、不幸なことにアメリカの「金融危機」で外資系企業が全て採用をフリーズ(=専門用語、採用をストップすること)するという事態に直面しました。当然、type本体も広告が受注できなくなり、今でこそ東証プライムに上場していますが、会社は大きな岐路に立たされました。私の事業部も瞬間的に全員が仕事がない状態になり、社長の判断で事業部を廃止するという会社の判断となりました。営業の皆さんは、私達のグループが採用業務を受注して常駐することで、広告が取れやすくなるとのことで、一部の人がもう少し我慢しても良いのではと言ってくれたのは嬉しかったです。人材紹介部門のキャリアカウンセラーへの異動を命じられましたが、私のこの仕事にかける想いや私の人柄やリーダーシップに賭けて転職してきてくれた部下に申し訳なく、自ら事業部廃止の責任を取る形で、会社を退職する決断を下しました。

<サラリーマン時代のクライマックス・スカイライトコンサルティングでの奮闘>
そこで選んだのが、旧アクセンチュアの腕利きのメンバー20人(うち取締役6人)が結集して新たに国産コンサルティングファームとして立ち上がったスカイライトコンサルティングでした。採用しかできない私でしたが、まずは採用をやってくれる人が欲しいという企業のニーズにもあったのだと思います。

ここでは本当に忙しく、いわゆるまだ採用の仕組みも教育・評価もこれから作り上げていくというフェーズでした。もちろん、それを望んで飛び込んだものの、その難易度は私の知識や経験の「更に3倍、考え方によっては5倍以上」を発揮して、やっとできるという程の内容だったと思います。幸い、コンサルティングファームには、バックオフィス業務も積極的に手伝ってくれるような方が多く、またこういうベンチャーに大手から色々なものを捨てて来るような方は、どんなに仕事が忙しくても、仕事終わりに駆けつけてくれて面接官として手伝ってくれたりしてくれました。当時はN村さんというコンサルタントのマネジャーが社内で作業をしていることが多く、私を手伝ったり、励ましてくれたり、時にはダメ出ししてくれたり、と色々と関与してくれたのは本当にありがたかったです。また、社長のH物さんをはじめ、会社の設立理念に賛同して参画した5人の取締役の皆さんも、全く個性や性格は違う方々でしたが、たった1人でコンサルティング会社の経営の根幹(採用・教育・配置・評価のサイクル構築)の整備に孤軍奮闘する私を、皆さん本当にバックアップしてくれました。この会社に入って良かったと思ったのは、最初の6ヶ月で一定の評価をして頂き、年収が一気に何百万円も上がったことではなく、本当に信頼のできる仲間・経営者に出会えたことに尽きます。この出会いがなかったら、ビジネスで自分が「プロ」であるという認識は強く持てなかったかもしれません。
こんなエピソードも印象に残っています。私が評価制度の第1案の素案を持っていって経営会議で玉砕して完全にダメ出しされた時、この経営課題そのものを人事の私1人だけに背負わせるのはおかしいと、評価制度構築プロジェクトの主担当的役割を自ら買って出て頂いたN澤さん・Y野さん(評価の構築作業は、いつも自分の本来の仕事を終えて、他の人が帰った後の遅い時間にやられていました。)という方がいました。
普通、経営者はこういうことまで手や口を出さないのが常識と思っていた私は、少しビックリしました。それも「全部我々で巻き取ります。あなたは人事の責任者として他の領域に注力していいですよ」、みたいな感じで当然のごとく進める。これがプロのビジネスパーソン(彼らは経営者と同時に、お客様の仕事もするコンサルタントでした)
なんだなと強く印象に残っています。

自らは人事の経験や知識がないながらも、必死になって私をサポートしてくれた人事担当役員のS本さん、精神疾患で長期休暇している社員の面談やフォローは当然私の仕事でしたが、一緒に遠いところまでその社員の面談に同行してくれたU田さん、役員の中で1人、コンサルタントとは異質の営業系キャリアを歩まれてきたH原さん(実はこのH原さんが1番私の悩み事の相談に親身に乗ってくれました)、みんながみんな、自分の出来ることで会社に貢献したり、仲間を助けていく。
「ベンチャースピリット」という言葉がありますが、まさにそれを地でいくような環境で、私も大きく成長することができたと思っています。

会社の最後の方は、人の数も組織もしっかりして、私も配下のメンバーの採用を許されました。自分が出来ることや教えられることを伝え、いつしか「人事ディレクター(一般企業でいうところの部長~役員相当)」という肩書きを頂き、報酬もおそらく日本企業の人事担当の中ではトップクラスを頂けるようになっていきました。が、私の体やメンタルは、既に10年間の身体的・精神的ストレスの蓄積で完全に限界を超えており、退職直前期には完全に精神的に崩壊してしまい、会社にも妻にも親族にも多大なるご迷惑をおかけしました。

<長期休養の後、個人事業主のコンサルタントとして独立>
しばらく長期でお休みをしました。奥さんにも迷惑をかけたので、2人でゆっくり過ごす時間も欲しかった。完全にうつ病になっていたので医者にも定期通院をしました。次の仕事は、なんといきなり関西(大阪)で見つかりました。奥さんは東京で仕事があったので、当然自分一人で大阪に転居し、週末に東京に帰る二重生活で乗り切ろうとしました。しかし、ここで夫婦間にも、色々と考え方や生き方の溝が生まれていました。私のようにこれと決めたら全力で走るのを止めない人間もいれば、のんびりとマイペースで、自分の趣味などに時間を使いながら平和な暮らしを送りたいという人もいます。精神的にゆとりがなかった私は、奥さんに自分の生き方や価値観を知らぬ間に強制していたのかもしれません。そこで溝が生まれた私達夫婦は、その溝を修復することはできませんでした。10年間も一緒に暮らしていたのに、なぜこんなことを理解できていなかったのだろうということも多々ありました。もしかしたら、奥さんの方も同じことを感じていたかもしれません。
これを機に40歳の時に離婚し、そこからは一切結婚もせず現在に至ります。子供は作らないと決めて結婚していたので、子供につらい思いをさせることなく離婚できたのは良かったと思います。

<人事のプロとして、屋号「HR Professional」にかけた想い>
独り身になり、新たに個人事業主としての生活がスタートしました。私が狙ったポジションは「CHOエージェント」。これはコンサルタントとは違い、人事の責任者のポジションを担うという、あるようでなかったサービスでした。特に人事の領域は、企業経営の根幹に関わることが多いにも関わらず、中々期待するレベルの管理職クラスの採用が出来なくて困っている企業があります。それを一時的に管理職業務を請け負うことで、サポートできないかと考えたのです。

このように、個人事業主になって色々なことを経験しました。家に一定の生活費を入れなくて良い環境になり、必ずしもお金を稼がなくてもよくなりました。私はこの環境を逆手に取り、将来自分が起業したり、今回のように政治家を目指すのに必要な情報を取りに行くような活動をしました。
覚えているだけでも、

  • タレント(全く売れませんでした笑)
  • 人事担当者に特化したビジネスコーチングサービス
  • 模擬面接サイト運営(新卒、公務員受検者、中途採用者、シニア転職 等)
  • 埼玉県庁の職員(教職員課給与担当)
  • 外国人観光客向け観光ガイド(英語で浅草や新宿を案内)=ほぼボランティア
  • 1時間1,000円で、おじさんを自由にレンタルしたり相談できるサービスサイト加入
  • コンビニ店員・責任者(FC研究を兼ねて大手3社経験)
  • リラグゼーションサロンのセラピスト(全身マッサージ、足裏マッサージ)
  • ナイトレジャー関連(性風俗ではないです)
  • チョコレート工場の品質関連業務
  • 冷凍食肉トラックのお得意様ルート配達

などをやりました。

完全に世の中のビジネスの仕組みを勉強していた期間ですが、結果としてこの期間が矢神 武蔵が世の中のビジネスの仕組みに詳しい礎になっています。
色々な業務を見ることで視野が広がるのは間違いないので、特に今回政治家を志すにあたっては、世の中の色々なことを知っている自分の特性を活かしたいと思います。

駅前・市内スーパー等での支援スタッフ募集!

(1)市内各所(主に八潮駅・草加駅・スーパー)での矢神 武蔵のサポート
※立ち止まってくれた有権者に名刺やチラシの配布。 9/6まで毎日実施します。
<主な時間>朝6時30分~9時、11時~13時、18時~21時 ※駅、スーパー、市内文化施設、市内スポーツ施設など
<想定者>年金生活者、専業主婦やパート労働者で1日数時間取れる方、土日に地域貢献したいビジネスパーソン(特に八潮駅周辺にお住まいの方)、18歳以上の高校生・大学生、空き時間を八潮市の将来のために使いたい方

(2)矢神 武蔵_通信 ポスティングスタッフ
市内全域のポスト配布を手伝ってくれる方を登録制で募集します。時給1200円。自分の居住エリアの周辺を担当頂きます。人数が集まらない場合は業者発注に切り替えますことをご了承下さい。

(3)矢神 武蔵_八潮市を~赤い情熱~で染めろスタッフ
これで給与もらえるの?と思う仕事です。昼食時・夕食時などを中心に、スタッフシャツを着て市内を歩きまわるだけ。声をかけてくれた有権者に、簡単に党の説明と名刺・チラシの配布をします。スーパーに買い物行く時に、ついでに2時間歩きまわって下さい。時給1200円。市内スーパー1つにつき1名のみの限定募集。

(4)大学生限定募集(女性のみ)※夏休み市長選挙事務所インターン
「チーム矢神 武蔵」の選挙企画スタッフとして勤務頂きます。即日~9月7日まで。月給相当35万円支給。矢神 武蔵と一緒に八潮市長選挙の公約を考えたり、街頭プレゼンを企画したり、矢神 武蔵チャンネルの企画立案、撮影、編集など。詳細は詳しい仕事内容や勤務条件を紙で用意してあるので連絡を。夏休みに燃え尽きたい方向け。

一般企業の採用目的の短期インターンなんかするより、10倍社会人になった時の役に立ちますよ。人事でインターンを企画していた矢神 武蔵が言うのだから間違いないですし、プロのコンサルタントの超速仕事術や思考法を伝授します。

(5)選挙カー運転手(大学生女性歓迎)
告示日(8/31)~選挙前(9/6)の間、選挙カーを運転してくれる方を募集しています。20代、30代の女性を想定。

ウグイス嬢と連携して、市内全域をゆっくり(時速20kmとか)周遊します。初心者マークが取れている方なら誰でもOKです。一般車両は選挙カーは追い抜いていきますし、事故時の保険も加入していますので気楽にどうぞ。拘束時間は朝8時~20時までです。拘束時間は長いですが、適度に休憩を取りながらやって頂きます。報酬は公職選挙法によって上限が決められていますが、今回より改定(上限引き上げ)がなされる可能性があります。タレント芸能人も参画しますので、運が良ければ彼女達と1日一緒に過ごせます!笑

(6)選挙カーアナウンススタッフ(うぐいす嬢{男性可})
9月の平日2日間、キャンセルが出て空きがあります。9月1日(月)と9月4日(木)、拘束は8時~20時、実働はその中の6~7時間です。報酬は公職選挙法の上限(15,000円)ですが、これは今回の選挙から引き上げ(20,000円)になる可能性があります。

プロ司会者・アナウンサー・芸能人志望者の方は、登竜門としてうぐいす嬢の仕事をする方が多いです。教師志望の方も、人前で話すトレーニングになります。発声法などに長けた方が理想ですが、全くの初心者だけどチャレンジしてみたいという方も大歓迎!大事なのは、矢神 武蔵を必ず八潮市長にするという気概!この職種は、男性も可とします(全国的に珍しい逆うぐいす嬢!ただし、プロの方のみとさせて頂きます。)なお、今回参画する超ベテラン芸能人の方が、見本用のサンプルを録音してくれるので、最初の1時間はそれを聞いてから本番でやれますので、少し気楽かと思います。

献金(100円でもOK、クレジットカード可)や、
矢神 武蔵へのサブスク型 継続支援のご案内

献金(100円でもOK、クレジットカード可)や、
矢神 武蔵へのサブスク型 継続支援のご案内

道路陥没事故からの八潮市の復活を公約に掲げる矢神 武蔵は八潮在住の一般人に過ぎず、大きな政党や企業からの献金は一切ありません(八潮市内(もしくは5市1町連携をしている草加市・越谷市・三郷市・吉川市・松伏町)の企業以外から申し出があっても一切頂きませんし、市内企業であっても社名と金額を公表可能な社のみにする方針です)。皆様が100円支援して頂ければ10万人なら1,000万円、1,000円を支援して頂けるなら1億円の選挙資金が出来ます。選挙でお金が余れば、陥没事故の今も悪臭に悩む方々への支援にも回せますし、少なくても私の財布に入るようなことは絶対にしません。

選挙ドットコムのリンクから1,000円以上であればクレジットカード払い可、それ以下であれば、振込手数料はかかりますが、10円単位でもいいです。また駅には献金箱を用意していますので、少しでもご支援をお願いします。

<Aパターン(お勧め)>
【1,000円以上の献金を頂ける方で、クレジットカードで即時決済をご希望の方】
(カード会社の手数料は、矢神 武蔵の受取額から引かれるので皆さんの負担はありません。)

日本で唯一無二のネット選挙を仕掛ける矢神 武蔵には圧倒的に資金が足りません。皆さんの少しの支援が、名刺
を配ってくれるスタッフの給与として使われたり、矢神 武蔵が購入しなければならない様々な備品購入の原資となります。

献金は以下のリンクから受け付けています。
選挙ドットコム

  • はじめての方は、①選挙ドットコムへの仮登録 ②本登録 をして下さい。
  • 2回目以降の方は、ログインするだけでいつでも献金可能です。
  • サブスク型で毎月一定金額を献金することもできます。
  • 1口1,000円~年間上限150万円まで献金可能です。
  • 年間5万円を超える献金(5万1円以上)については、
    収支報告書で「金額、氏名、住所、職業」が開示されます。

<Bパターン>
【献金額が1,000円未満、もしくは1,000円以上でも銀行振込を希望される方】

■埼玉りそな銀行(銀行番号 0017)
■八潮支店(店番 590)
■普通口座
■4384533
■矢神武蔵 後援会
(ヤガミ ムサシ コウエンカイ)

<Cパターン>
【街頭献金】

手軽にできる募金箱タイプ。駅前で献金箱をご用意していますので、
財布の小銭を入れるだけでもいいので、ご協力お願いします!

矢神 武蔵 選挙事務所へのアクセス
矢神 武蔵 直通ダイヤルのご案内

【何でも質問/相談 フリーダイヤル】

通話料無料: 0120-800-634(語呂:や{がみ}むさし)

携帯電話の方へ:

下の赤いボタンを押すと、そのまま携帯電話に番号が転送されて
フリーダイヤル番号が表示されます。是非ご利用下さい。

日本の政治家はほとんどやっていない、皆さんからの電話を矢神 武蔵が通話料負担で、何でも質問や相談をできる仕組みを作りました。この電話にかけると、矢神 武蔵の携帯電話及びスタッフの携帯電話が鳴るようになっています。とにかく、一言物申したいという方、他の候補者の支援者の方(アンチ歓迎)、純粋に質問や相談のある方、何でもいいので電話して下さい!皆さんの声を新たな市政に反映することをお約束します。

【選挙事務所】
〒340-0808 埼玉県八潮市緑町 1-24-1-201
6 席用意がありますので、矢神 武蔵に会いたい方は是非事務所へも遊びに来て下さい。 街頭演説・挨拶以外は、事務所で他の事務作業をしていることが多いです。

【営業時間】
午前7時~午後11時
※ただし、市内での街頭演説で7時~9時、11時~13時、18時~21時は矢神 武蔵は離席していることが多いです。電話は事務所スタッフが丁寧に応対させて頂きます。

【矢神 武蔵_連絡先】
メール:yagami.musashi@yashio.red

LINE 電話(通話無料):yagami.musashi

携帯電話:090-1517-8634(行こう!いいな!矢神 武蔵)※語呂合わせで覚えられます。____________________________________________________________________
<日本一透明性のある市政運営を目指す、
矢神 武蔵の党 ~赤い情熱~>

■公式サイト:https://yashio.red/

■公式 LINE:https://page.line.me/yagami.musashi

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